花見前から山にこもってなにかに取り憑かれたような状態が2ヶ月以上人と話すこともたまにで飲み相手が欲しくなる夜もあるけどタマシイの自由にどっぷり浸って
ここにいるといままで縛られてきたものに気づくそう、社会の中で生きて行くには確かに、それらも必要だったんだろう
でも、社会の一員としての義務だけ果たして去って行く、でいいのか?
♬ありそうもない世界にこの世界を去る間際に気づく人もある『蜂須賀に捧ぐ』より
蜂須賀の言っていたことがいまさらながらストンと腑に落ちる感じ
沖縄で月光荘を始めたとき社会に対する違和感を自分なりに表現したつもりだが今回この月見山でもこの違和感をじっくり観察しながら何かを表現できそうないい予感が酒のせい?